2022年07月21日

『進化思考』における間違った進化理解の解説

本屋で表紙を見かけたときにちょっと気になったものの、「たぶん進化生物学的に見るところはないだろう」と思いスルーしていた1冊に太刀川英輔(著)『進化思考』があった。その後、そんな本が出版されたことはすっかり忘れていたのだが、TL上に「『進化思考』批判」という学会発表の動画が流れてきた(『進化思考』批判 日本デザイン学会第69回春季研究発表大会)。なんだこりゃ、と思いその動画を見てみたのだが、どうやら思っていた通り進化生物学的にはまったく見るところのないトンデモ本であることが説明されていた。

このままスルーしてもよかったのだけど、著者の太刀川英輔という人物はデザインの世界では著名な人らしい。デザインの世界に進むであろう学生も多く在籍する某美大で『生態学』の講義を非常勤で請け負っている手前、この本を無視してはいけないのではないかと思い、古本で購入して読んでみた。その結果、思っていた以上にマズい本であった。この本に書いてある進化に関する理解はまったく完全に間違っていて、これを進化と思ってもらっては困るということで、1週使って本書の進化に関する間違った理解について解説した。

なお、この解説記事を書いている僕自身は進化生物学者かと言われると自信を持って「そうだ」とはあまり言いたくない感じの、どちらかといえば生態学者と自信をもって名乗れるようになりたい記載分類学者寄りのフジツボ研究者である(自己評価)。この記事では、主に著者の「進化」の理解に関する間違いを指摘するに留めており、具体例として挙げられている数々の生物とデザインのアナロジーを目指したものに関する個別の指摘は省略する(キリがないから)。

まずはamazonの販促画像から見ていきたい(この時点でダメダメなのだが…)。
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『生物の進化は、エラーを生み出す変異の仕組みと、自然選択による適応の仕組みが往復して発生する。』

しません。
本書では中立説に触れられていないので、ダーウィンの自然選択による進化を前提として説明しますが、教科書的には進化とは「変異・淘汰・遺伝」の3つのステップを経て顕現する現象です。本書の一番の問題は、扱いが難しい「適応」という単語をその場その場で都合よくいいかげんに使用していて、進化生物学における「適応」の意味で使われていないところです(このことは後述します)。本書における「適応」を「選択」と読み替えればそれなりに読めないことはないのですが(それでも間違っているけど)、この単語のブレブレ具合が本書の進化理解の致命的なところです。

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『私たちは道具の創造を通して「進化」を達成してきた。』
『こうした創造は疑似的な進化そのものだ。』

それは進化ではありません。進化は常に現在進行形で走っている現象であり、達成するものではないからです。また、「疑似的な進化そのものだ」に至っては
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としか言いようがありません(本書はこのコマを印刷して栞として使うというライフハックでストレスが多少緩和されます(出典:日本橋ヨヲコ(著)『少女ファイト』))。後述しますが、「道具そのものが進化する」というのであればそう表現してもいい場合はあります。が、道具の進化と人間の進化は独立であり、「道具の進化によって人間が進化する」とはなりません。

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どこかで見たことがあるような…
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というのは置いといて、変異と適応の繰り返しで進化は起こりません。
「適応」はそもそも進化の要因ではありません。「適応」がなくても進化することはあります(遺伝的浮動による中立進化)。

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自然選択(変異・淘汰・遺伝)の3ステップで複数世代を通して顕現する性質が「適応」です。「適応」は進化の結果なのに、それが要因のように書かれているのが本書の最大の誤りです。

ついでに言うと、最近師匠が訳本を出してくれた Williams GC「適応と自然選択」では

>進化的適応は特殊で誤解されやすい概念であり、必要なく用いるべきでない。
Williams GC, 辻和希 訳 (2022) 適応と自然選択. 近代進化論批評. 共立出版. p. xxi
>適応は、真に必要なときだけに使われるべき専門的でわずらわしい概念である。
Williams GC, 辻和希 訳 (2022) 適応と自然選択. 近代進化論批評. 共立出版. p. 2

と、いきなりコレがめんどくさい単語であることが冒頭で宣言されています。また、訳者注として、

>本書では、適応(adaptation)を自然選択を受けて発達した形質、すなわち進化の産物という意味で使っている。しかし、日本語の'’適応’'は、動詞の適応(していない状態から適応している状態へ変化すること)の意味合いが強いので、訳では適宜(的形質)を追加した。
Williams GC, 辻和希 訳 (2022) 適応と自然選択. 近代進化論批評. 共立出版. p. xxii

と注意書きがされています。ここでも、やはり適応は進化の産物、つまり結果としての性質であり、進化の要因ではないことがきちんと宣言されています。そして、この解釈は進化生物学分野における「適応」の理解として進化生物学者たちの合意を得ていると言っていいでしょう。

販促画像でこの調子なので、続く本文を思うと気が重いのですが進めましょう。

>あらためて創造性の正体を探求するために、自然のなかにある知的構造に目を向けてみよう。生物科学的な観点で脳のなかに宿る創造的な知性や、種が生き残るための知的な習性をひもといてみると、そこにはバカと秀才の構造との興味深い一致が見られた。(p. 37)

「種が生き残るための知的な習性」とはなんでしょうか。これまで多くの政治家や活動家たちによって誤用されてきた進化の用法そのものです。とりあえず河田先生の記事のリンク貼っときます。

「種の保存のための進化」はどこが誤りなのか
https://note.com/masakadokawata/n/n41079da12807

>進化論の構造は単純明快で、四つの現象を前提としている。
> 1 変異によるエラー:生物は、遺伝するときに個体の変異を繰り返す
> 2 自然選択と適応:自然のふるいによって、適応性の高い個体が残りやすい
> 3 形態の進化:世代を繰り返すと、細部まで適応した形態に行き着く
> 4 種の分化:住む場所や生存戦略の違いが発生すると、種が分化していく (p. 44)

違います。先ほども述べましたが、進化は「変異・淘汰・遺伝」という3つのステップを経て、世代を通して顕現する現象です。
「遺伝するときに変異を繰り返す」というのも意味が分かりません。次世代を残すときに様々な変異が生まれ、選択を受け、その一部の性質がさらにその次世代に遺伝していきます。「変異を繰り返す」ってのもなんでしょうか。ヘッケルの反復説的なことを言いたいのでしょうか。
「適応性の高い個体が残りやすい」というのもよくわからない表現です(頭痛が痛い、みたいな感じの違和感)。生き残りやすい有利な性質を持つことを「適応」と呼ぶのに、これでは「残りやすい個体が残りやすい」という進次郎構文です。進化生物学的には「適応性の高い個体」などという表現はしないでしょう。ただ単に「有利な性質を持った個体」くらいの表現が適切ではないでしょうか。このへん、初学者の方にはわかりにくいニュアンスかもしれませんが、Williamsが「進化的適応は特殊で誤解されやすい概念であり、必要なく用いるべきでない」というようにめんどくさい単語なのでこのようにいいかげんに使ってほしくないところです。
また、「世代を繰り返すと、細部まで適応した形態に行き着く」とありますが、細部まで適応した形態に行きつきません。進化は現在も走っている現象だからです。終着点があるわけではないのです。今、完成形のように見えるさまざまな生物たちも、進化の途上にいます。もちろん我々Homo sapiensもそのひとつです。
4つ目はまァ… 別におかしくはないけど種分化のハナシで、「進化論の構造」としてここで挙げるものでもないと思います。

>こうした変異と適応を、実に38億年続けてきた結果、世界は無数の種類の生物で覆われることになった。つまり生物の進化もまた、卵から毎回違う個が生まれる「変異」の仕組みと、それが途中で死んだり性競争に負けたりしないで無事に次世代に遺伝子をつなげられるかという「適応」の仕組みを長期間繰り返している。このきわめて単純なプロセスを前提とすれば、気の遠くなるような時間をかけて、個体の変異と自然選択による適応を繰り返すことで、しぜんに美しいデザインが生まれるというわけだ。(p. 45)

これは「適応」ではなく「選択(または淘汰)」の仕組みです。本書で著者が「適応」と表現するところを全部「選択(または淘汰)」に置換して読めば多少は違和感なく読み進めることができるかもしれません(それでも間違っているけど)。

> 自然界では、この「変異×適応」の仕組みがつねに働いている。(p. 45)

今後も何回もこの「変異×適応」という記述が出てきますが、「変異と適応」ではなく「変異・淘汰・遺伝」です。この著者の進化理解には形質が遺伝して集団内に固定されていくというプロセスがまるまる抜け落ちています。

松井さん・伊藤さんによる「『進化思考』批判」の発表に対して、著者は日本デザイン学会に意見書なる圧力とも思えるような怪文書を提出しているのですが、それによると著者の進化理解への自信の源には以下の要因があるようです。

>結果としてですが、仮にもし根幹的なところで進化論自体に誤解があったら、長谷川眞理子さんのような厳しい目を備えた進化論の権威が、進化思考を学術賞である山本七平賞に選ばれるとは思えません。また東北大学で教鞭をとる進化生物学者の河田雅圭先生も進化思考に共感してくださり、この本の改訂にあたっての助言をくださっています。出版前にもズーラシアの村田園長などの生態学者の方にも読んでいただきました。そういう査読者のご協力もあって、僕の誤植はともあれ基本的な進化論の構造についての大きな間違いはないと思っています。
https://docs.google.com/document/d/1wKacpCXHtoqQPabA6Fy_Hzciz0dL_cCAvSZTbVajGpo/edit

あのヒトのお墨付きがあるから僕の理解は大丈夫なんだ、というのは学問という場でのふるまいとして端的にくっそダサいという感想しかないのですが、まぁそこはいいでしょう。では著者が信頼する長谷川眞理子さんの著作から進化のメカニズムについての解説を引用してみましょう。

自然淘汰は、次の四つの条件が満たされているときに生じる自然現象です。その前提とは、@生物は、たとえ同じ種に属していても、それぞれ個体ごとにさまざまな性質が異なる、つまり種内には個体差がある、Aそのような個体差の中には、遺伝的なものがあり、遺伝的に決められている個体差は親から子へと遺伝する、Bそのような遺伝的な差異の中には、生存と繁殖に影響を及ぼすものがある、C生まれてきたすべての子が生存して繁殖するわけではない、の四つです。
(中略)
さて、この四つの条件が満たされているとすると、どんなことが起こるでしょうか。うまく生き残って繁殖できるような性質が、どんどん集団の中に広まっていくことになります。たくさん生まれてきた個体の中には、生存と繁殖に関して、うまくいく性質を持ったものと持っていないものとがあり、当然ながら、うまくいくものがよく生き残って子孫を残すのですから、世代を重ねるにつれて、そのような子孫の数が増えていくでしょう。そうすると、その生物の集団は、誰もがその環境においてうまく生存して繁殖するような性質を身につけることになります。だからこそ、水の中を泳ぐ魚は、泳ぐために理想的なからだのつくりをしており、空を飛ぶ鳥は飛ぶために理想的なからだのつくりをしているのです。このように、生物が、そのすんでいる環境に対して非常にうまくできていることを「適応」と呼びます。
長谷川眞理子 (2002) 生き物をめぐる4つの「なぜ」. 集英社新書(p. 27, 29-30)

ここでは4つのステップとしていますが、BとCは意味的にはまぁ実質同じです。やはり@変異A遺伝B淘汰と3つのステップを自然淘汰のプロセスとして紹介しています。また、「適応」については、うまくできていること、つまり進化の結果として「適応」という単語を使っており、進化の要因として「適応」という単語を用いているわけではありません。

こちらは同じく長谷川眞理子さんのより最近の著書『ダーウィン 種の起源. 100分de名著』(NHK出版, 2015)からです。

進化論とは、簡単に言うと「変異」「生存競争」「自然淘汰」の三つのキーワードで説明が可能です。
まず、生き物にはさまざまな「変異」というものが生じます。その変異のなかに他の個体よりも生存や繁殖に有利なものがあった場合は、「生存競争」のなかでその個体が生き延びて、変異は子孫へと受け継がれます。そして環境に有利な個体は不利な個体よりも多くの子を残すという「自然淘汰」を何百万年、何千万年も繰り返すなかで変異はどんどん蓄積され、もともとの個体とは違った生き物が誕生していくーこのプロセスが進化です。
進化理論自体は、それほど難しい話ではないのですが、根本的な部分でいくつか誤解されがちな点があるので注意が必要です。
まず一つ目の誤解は、自然淘汰が「目的を持って」働いていると考えられやすいことです。自然淘汰が働く大前提は、生き物に遺伝的な変異があることですが、変異は環境とは無関係にランダムに生じます。現れた変異がたまたま環境に適していて、生存や繁殖の上で有利となる場合に自然淘汰が働き、その変異が継承されるのです。現在では、変異は遺伝子の配列の変化によって生じることがわかっていますが、すべての変異は偶然の産物なのです。
もう一つの誤解は、「進化の歴史のなかで生き物はだんだん進歩してきた」と考えてしまうことです。「進化」「進歩」という言葉には、梯子や階段を一歩一歩上に登っていくようなイメージがあります。ですから私たちは、生物は下等動物から高等動物へと進化し、その頂点に人間が君臨していると考えてしまいがちなのです。
でも、それは大きな間違いです。実際は、進化は梯子のようなプロセスではなく、枝分かれの歴史なのです。

ここでは変異・生存競争・自然淘汰の3ステップで説明しています。僕の感覚では生存競争は自然淘汰にかなり近いニュアンスを受けるので、ここは生存競争ではなく『遺伝』と表現した方がいいのではと思いますが、ある性質が世代を超えて継承されることがきちんと説明されています(『その個体が生き延びて、変異は子孫へと受け継がれます』のところ)。

そもそも本書を長谷川眞理子さんが賞に推薦した、というのが信じられないのですが、さすがにこれは中身を読んでいないんだと思います。読んでいてこれを推薦したのだとしたら「耄碌したか」と言わざるを得ません。
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それか、選考委員は5人いたみたいだし多数決で決まってしまっただけで長谷川さんは本書を推薦しなかった、さすがに本書の推薦には反対した、と信じたいところです(マジで)。

それにしても、考えれば考えるほど、進化と創造は双子のように似ている。あまりにもそっくりなので、ダーウィニズムの登場から160年を経た今では、「製品が進化した」「組織を進化させる」のように、「新しいモノが生まれたり改善されたりすること」の意味で「進化」が使われているくらいだ。当初、「進化」と「創造」を同じ意味で使うことは誤用だったはずだ。それがもはや何の違和感もない自然な表現として、世界中に広がってしまった。ダーウィンが進化論を発表した当時でも、人は「進化」ということばを聞いて、道具や社会の創造にも同じシステムが働いていると考えたようだ。
 (中略)創造という知的現象もまた、それがヒトという生物によって自然に起こっているのだから、何らかの自然現象であるはずだ。ならば、進化論の構造を理解し、進化と創造の類似を探求することは、創造という現象を知る大きな手がかりになるだろう。(p. 46)

>それにしても、考えれば考えるほど、進化と創造は双子のように似ている。(p. 46)

進化学徒が持つ「創造」という単語へのイメージは想像したことがないのでしょうか?もちろん著者の言う「創造」がいわゆる聖書から生まれた「創造論」の「創造」とは異なるものであろうということはさすがにそうであってほしいと期待しますが、この文はかなり進化学徒にケンカを売っています。もしその理由がわからないのであれば『スパゲッティ・モンスター教』をググってこれが生まれた背景を調べてみてください。


>当初、「進化」と「創造」を同じ意味で使うことは誤用だったはずだ。(p. 46)

現在でも誤用です。日常的に用いられる「進化」という日本語に進歩史観が含まれていることを残念に思いますが、少なくとも進化生物学の分野でこの単語を用いるときに「新しいモノが生まれたり改善されたりすること」の意味で「進化」を使ったらシバかれます。自己啓発本の中で進歩の意味で進化を使うのであれば別に何も言いませんが(そんな本はたくさんありすぎてツッコみきれないので)、『生物の進化』を謳いダーウィンの名前まで出してくる本の中でそれを誤用されたらそれは当然批判されるものです。


>ダーウィンが進化論を発表した当時でも、人は「進化」ということばを聞いて、道具や社会の創造にも同じシステムが働いていると考えたようだ。(p. 46)

これは優生学の考えそのものです。社会のあり方にも進化の考えを無理やり応用しようとした試みが優生学であり、第二次世界大戦中に行われたホロコーストの論理的根拠とされた、誤った進化論理解そのものです。我々は歴史からその理解が完全に誤りであり、人類の大きな過ちであったことを強く認識しなければなりません。


>創造という知的現象もまた、それがヒトという生物によって自然に起こっているのだから、何らかの自然現象であるはずだ。(p. 46)

意味がよくわかりません。本書では「〜〜だから or 〜〜だとすれば、〜〜であるはずだ。」という、特に根拠の示されない著者の仮定に対して特に根拠のない断言が続くことがとても多いです。


>道具とは何か。それは疑似的な進化だ。道具はたいていの場合、それまでできなかったことを可能にするために発明される。たとえば5000年前に、アジアで「箸」が発明された。熱い食べ物をつかんだり、衛生的に食べられるようにするためだ。この箸は、指の持つ身体の限界を拡張するために生まれたと説明できる。箸と同じように、人間の身体が不自由だからこそ、身体の一部を進化させるためにさまざまな道具が作られたと考えると、あらゆる道具の理由に説明がつく。創造性は、疑似的な進化を人類にもたらしてきたのだ。この疑似進化能力によって、私たちは身体を拡張し、無数の道具を使って日々を生きている。
(中略)
たとえば、人の「目」は遠くや微細なものが見えないので、望遠鏡、顕微鏡、はてはビデオ通信まで発明した。人の「声」は遠くまで届かないので、発声法を体得し、メガホンやマイクを作る。(中略)すぐ痛くなり、運動能力の低い「足」を進化させるために靴や乗り物を生み出した。(中略)
 こうして道具をやむことなく創造し、私たちは疑似的に進化しつづけ、地球上で最強の生物となった。(中略)こうしてさまざまな前提を踏まえて、私は、創造という現象について次のような仮説を立てた。

創造とは、言語によって発現した「疑似進化」の能力である。

こう考えると、つじつまがぴったり合う。言語の歴史はちょうど約5万年。石器時代を乗り越えた人類の歴史と重なる。それ以降、人類は実際に道具の発明という「疑似進化」によって、今この瞬間にも急激なスピードで進化しつづけているのだ
「創造」は「進化」の未完成の代用品だ。(p. 47-48)

>それは疑似的な進化だ。(p. 47)
>身体の一部を進化させるために(p. 47)
>すぐ痛くなり、運動能力の低い「足」を進化させるため(p. 47)
>疑似的に進化しつづけ(p. 48)
>道具の発明という「疑似進化」によって、今この瞬間にも急激なスピードで進化しつづけているのだ(p. 48)

「疑似的」とつければ何を言ってもいいわけではありません。
道具が進化するか?という問いには「進化する」と答えてもいいでしょう。たとえば、バイオリンの形態の進化に関する研究などもあります。
Chitwood DH (2014) Imitation, genetic lineages, and time influenced the morphological evolution of the violin. PLoS one, 9(10), e109229.
しかし、我々が「道具を使ってこれまでできなかったことができるようになる」ことを進化とは言いません。進化は、自然選択か遺伝的浮動によって、複数世代を通して結果として現れるものだからです。「疑似的な」と付け足しても間違いは間違いなのです。たとえば、僕は卒論のときにはWindows Meを使用していました。修論・D論の途中まではWindows xpです。そして、学位取得後しばらくはWindows 7を使用し、現在はWindows 10を使用しています。これは進化でしょうか?パソコンは進化していると言っていいでしょう。複数世代(Me-xp-7-Vista-8-10)を通して(淘汰)、WindowsのUIは遺伝し形質が保持されている一方で(遺伝)、旧世代機とは異なる機能が実装されています(変異)。一方で、そのパソコンを使っている僕はたとえ疑似的にでも進化しているでしょうか?していません。進化とは、「変異・淘汰・遺伝」のステップを介して複数世代を通して現れる現象だからです。僕が使う道具が進化しても、僕自身が進化していることにはならないのです。「疑似的」かどうかは全く関係なく、僕は進化していないのです。


>進化は、遺伝によるミクロな現象としての「変異」と、状況によるマクロな現象としての「適応」の往復から自然発生する創造的な現象だ。(中略)
 では、これらの事実に通底する普遍性は何を示しているのか。それは、あらゆる知的構造は、「変異」と「適応」の往復が生み出すということだ。変異と適応をめぐる自然の構造を深く理解すれば、そこから創造性の法則を体系化できるかもしれない。(p. 50)

>遺伝によるミクロな現象としての「変異」(p. 50)

この文から著者が遺伝の意味を理解できていないことが推察されます。発生したさまざまな「変異」の中から適応的なものが「選択」され、その形質が「遺伝」していく。「遺伝」によって「変異」が生まれることはありません。


>状況によるマクロな現象としての「適応」(p 50)

やはりここでも著者は「適応」の意味を理解していません。進化の結果である「適応」が、なぜか進化の要因になっている。遺伝的でない「適応」は存在しないし、「適応」がなくても「進化」は起こります。それが冒頭でちょこっと触れた「遺伝的浮動」というメカニズムです(中立進化)。

そもそも「進化」とは、『遺伝的な性質の変化』のことを示す単語です。つまり、一個体の中で完結する現象ではなく、複数世代を通して顕現する現象です。そこには「自然淘汰」によって変化することもあるし、ランダムな「遺伝的浮動」によって変化することもあります。この中で、「自然選択」によって発生した進化の結果得られた性質を進化生物学では「適応(的性質)」と呼ぶのです。

自然淘汰と遺伝的浮動については、『生き物の進化ゲーム』から引用しましょう。
自然淘汰による進化が起こるには以下の3つが必要である。
変異:個体間である性質に違いがある。
淘汰:性質が異なる個体間では、残す子の数の平均や子の生存率が違う。
遺伝:その性質は多少とも遺伝する。
(中略)
一方、ランダムな浮動による進化には淘汰という過程は必要ない。
(中略)
変異・淘汰・遺伝の3つが揃ったときに起こるのが自然淘汰による進化、変異・遺伝があれば起こるのがランダムな浮動による進化である。
酒井聡樹, 高田壮則, 東樹宏和 (2012) 生き物の進化ゲーム -進化生態学最前線:生物の不思議を解く- 大改訂版. 共立出版.

また、放送大学教材「生物の進化と多様化の科学」からも自然選択と遺伝的浮動に関する解説を引用しましょう。

自然選択が起こるには、以下の3つの要件が必要である。1つ目は、変異というものである。変異があるとは、同一の生物種であっても個体ごとに違いがあるということ、つまりは個体差があることをいう。2つ目はその変異が遺伝することである。遺伝とは、生物の性質が親から子に伝わることである。3つ目は、個体によって、残すことができる子の数が異なる、つまりは生存や繁殖に関する性質に差があることである。これは、生存や繁殖に有利、不利があることともいえる。このような条件が揃ったときに、自然選択がはたらき、その環境において生存や繁殖に適した性質が進化する。
(中略)
もともとは少数の個体にのみ見られた性質が、世代を重ねる中でその生物種全体がその性質を持つように変化する。これを自然選択による適応形質の進化という。形質とは生物に見られる形や性質のことをいう。
二河成男 (2017) 生物の進化と多様化の科学. 放送大学教育振興会. p. 29-30.
自然選択による突然変異の集団への固定については、図2‐1で説明した。有利なものは固定し、不利なものは消失する。一方、中立な突然変異には自然選択ははたらかない。では、どのようなしくみで集団に広まったり、消失したりするのであろうか。
(中略)
中立な変異が集団中に広まり固定されるかどうかは、遺伝的浮動という偶然性に支配されると説明した。しかし、中立な変異も、1つの配偶子上の突然変異がその始まりである。それが、偶然に集団に広まり固定されることを直感的に理解することが難しいかもしれない。(中略)
中立説は自然選択を否定するわけではない。有利あるいは不利な突然変異は、自然選択により集団に固定するか消失するかが決まる。つまり、突然変異の生存や繁殖に対する効果の違いによって、はたらく自然の法則が異なるのである。したがって、分子の進化においても有利な突然変異は集団に固定する可能性はきわめて高い。注意すべき点は、おのような有利な突然変異が起こる頻度が極めて低いところにある。突然変異の多くは不利な変異や、中立な突然変異である。これは不自然に感じるかもしれない。しかし、多くの生物はすでにその生息環境に適応した状態になっている。よって、新たに生じる変化の多くは、適応した状態からの逸脱か、適応した状態に影響を与えないものであろう。(中略)したがって、分子レベルで見ると、有利な突然変異はほとんど起こらないため、分子レベルでの進化にあまり貢献しない。不利な突然変異はたくさん起こるが自然選択により集団から消失する。よってたくさん生じやすい中立な突然変異は、その一部が遺伝的浮動という偶然により集団に固定するため、分子レベルでは進化に貢献することとなる。
二河成男 (2017) 生物の進化と多様化の科学. 放送大学教育振興会. p. 46-49.

というわけで、進化生物学における「適応」とは、自然選択による進化で得られる『結果』のことであり、本書で書かれているような進化の要因ではないことがわかると思います。

>アレグザンダーの気持ちはよくわかる。なぜなら私は、創造という現象もまた、生物の進化と同じように、適応に導かれて自然発生すると考えているからだ。(p. 290)

ここまで解説してきた通り、自然選択による進化で得られる結果が「適応」であり、適応によって進化が進むわけではありません。進化生物学における「適応」の意味が理解されていません。

>二つの思考の繰り返しから、創造的な発想が自然発生する。変異の思考では、生物の進化に見られる変異のパターンを学び、いつでもバカになれる偶発的な思考を手に入れる。生物や発明には、ある種の共通する変異パターンが存在している。(中略)卵の産卵数が多いほど生存可能性が上がるのと同じく、大量の変異的アイデアを短時間で生み出すスキルは、新しい可能性にたどり着く確率を上げる。(p. 59)

>変異のパターンを学び(p. 59)

生物進化において、変異は意味のあるものからないものまで幅広く存在します。そこにパターンはないと言っていい。そのパターンを学べると思っているところが完全に進化を誤解しているところです。

>卵の産卵数が多いほど生存可能性が上がる(p. 59)
>生物でも、たくさん卵を産めば生存確率が上がるように、ここでは数が重要となる。 (p. 89)

卵の産卵数が多くても個体の生存可能性は上がりません。数で勝負する戦略なのでむしろ個体の生存可能性は下がるでしょう。


>ではもし生物が進化に呼応して、本能的な欲求を進化させたのだとしたら、人間だけでなく他の生物種とのあいだにも同じ欲求が自然発生していることになる。(p. 293)

ちょっと意味がわからないのですが、これは用不用のことを言っているのでしょうか。ダーウィンの『種の起源』はまだ用不用の考えが完全に否定されていない時代の本なのでこういう記述が一部残っていますが、現代の進化理解にこのような用不用の考えを持ち込むのはまったく筋違いです。あと、本書ではこの文章のように「もし〜〜〜だとしたら」という著者の仮定・仮説に対して「〜〜〜であるはずだ。」という断言が来ることが非常に多く、その仮説の根拠が示されることはほとんどありません。著者の思い込みが出発点なので、結論もまた思い込みによる断言にしかなっていないものばかりです。


>もし進化が自然発生しているなら、デザインやアートなどの創造性もまた、自然発生する現象と考えられるのではないか。だとすれば、創造性を発揮する仕事が、偉大な天才だけに可能だと諦めがちな私たちにとって、これこそ大いなる福音となるだろう。
「進化思考」は、こうした進化論の系譜を受け継ぎ、知の巨人たちの背中に乗って、創造という現象をあらためて解き明かそうという取り組みだ。創造には本質的な構造があるか。それは答えのない問いだと言われるかもしれない。しかし私は、そこに構造があることを疑わない。ダーウィンが言う通り、変異と適応が繰り返されれば、そこに誰かの意図がなくても、進化は自然発生する。それと同じように、変異と適応の往復によって、私たちは創造性を発生させられるという考え方が進化思考だ。(p. 276)

>ダーウィンが言う通り、変異と適応が繰り返されれば、そこに誰かの意図がなくても、進化は自然発生する。(p. 276)

このテキストは松井さんらの発表「『進化思考』批判」に関する日本デザイン学会への意見書の中でも
例えばこの論文の中では、進化思考は進化論についてラマルク的に捉えていると決めつけているようですが、まずそれは全くの誤解です。よくある誤解されやすい箇所なので何度も僕のスタンスがわかるよう明確に本文に記しています。
(その一例 進化思考P276 ダーウィンが言う通り、変異と適応が繰り返されれば、そこに誰かの意図がなくても、進化は自然発生する。それと同じように、変異と適応の往復によって、私たちは創造性を発生させられるという考え方が、進化思考だ。)

として、自身の進化理解が間違っているものではない、という言明に引用されているところです。しかし、ここまで説明してきた通り、ダーウィンはそんなことを言っていません(「意図がなくても進化する」というだけならOK)。変異と適応の繰り返しで進化しません。適応は進化の結果であり、以下のWilliams本で述べられている通り進化の原動力ではないからです。

生息環境における自然のふるい分けの作用で生物の適応が自然発生するのであり、そこに創造主もいなければ目的もない。進化を進歩という言葉に言い換えることはできない。
Williams GC, 辻和希 訳 (2022) 適応と自然選択. 近代進化論批評. 共立出版. p. 262.

本書で「進化」と書かれているところが全部「進歩」と書かれていたのであれば、この批判記事を書く必要はありませんでした。

>進化の一つの前提は、完璧な生物は存在せず、どんなものでもさらに良くできる、ということだ。 (p. 60)

やはりここでも「さらに良くできる」という、進歩史観の進化を前提としています。進化の誤った用法そのものです。ここは進化生物学では特に厳しく教育されるところです。


>ところで生物は、自分自身の身体を、自ら望んで進化させることはできない。トレーニングして筋骨隆々になることはできても、便利だからといってもう一本手を生やしたり、構造自体を変えることはできない。こうした基本構造を変えるには、数百万年という長い年月を必要とする。(p. 46)

>自分自身の身体を、自ら望んで進化させることはできない。(p. 46)

まぁそうといえばそうなんですが、そもそも進化とは複数世代を通して顕現する現象なので、自分自身一世代で考える単語ではありません。

>数百万年という長い年月を必要とする。(p. 46)

腕が生えるとかそういうレベルの進化のタイムスケールとして数百万年はかなり短いです。基本構造は進化的制約・拘束、ボディプランとして成立してしまっているので、数百万年で手の本数が変わることはありませんし、おそらく数億年経ってもヒトの腕を生やすどころか指の数が6本になっている、というようなこともないと思います。


生物の進化は、魔法のようなデザインを生み出す。しかしそれは誰かによる設計ではなく、自然発生する現象だと証明してみせたのが『種の起源』という伝説的な本だ。今を160年ほどさかのぼった1859年に、チャールズ・ダーウィンとアルフレッド・ウォレスが発表した驚異的な論文である。優れた博物学者で自然主義者でもあった二人が、生物の無数の標本観察から得られた膨大な標本をもとに「進化論」を提唱した。進化論は世界中にすさまじい衝撃を与え、それまでの自然界に対する認識をひっくり返した。生物の形態は神がデザインしたものではなく、種の起源から分化を繰り返して自然に発生したことを論理的に証明した、まさにコペルニクス的転回である。(p. 44)

>チャールズ・ダーウィンとアルフレッド・ウォレスが発表した驚異的な論文である。(p. 44)

『種の起源』はダーウィンの単著です。あと、論文じゃなくて書籍です。

>自然発生する現象だと証明してみせたのが『種の起源』という伝説的な本だ(p. 44)
>種の起源から分化を繰り返して自然に発生したことを論理的に証明した(p. 44)

『種の起源』は進化を論理的に証明したものではなく、より整合性のある説明を試みた本です。現在見られる多様な生物がどのように生まれたのか、どう解釈すれば整合性のある理解ができるのか、膨大な資料と実例を元に説明を試みたもので、ダーウィン自身はその証明に参加していません(そもそも「証明」という単語が適切とも思いませんが)。たとえば『種の起源』第5章「変異の法則」では、大西洋に浮かぶ海洋島、マデイラ島に生息する甲虫類を例にダーウィンはこんな説明をします。

ある場合には、われわれは、完全にあるいは主として自然選択によっておこった構造の変化を、安易に不用のためと結論してしまうことがありうる。ウォラストン氏は、マデイラ島にすむ550種の甲虫のうち200種は羽に欠陥があって飛ぶことができず、29の固有属のうち少なくとも23では全部の種がこの状態であるという、注目すべき事実を発見した。あまたの事実ーすなわち、世界の多くの土地で甲虫が海にふきとばされて死ぬことが頻繁にあること、ウォラストン氏が観察したようにマデイラ島の甲虫は風がないで日が照るまでじっと隠れている場合が多いこと、(中略)私は、マデイラ島におけるこのように多くの甲虫が羽のない状態にあるのは、主として自然選択の作用によるものであるが、たぶん不用もくわわっているのであろうということを、信じるにいたった。というのは、何千世代も継続するあいだに、羽の発達がはなはだ不完全であったかあるいは怠惰な習性であったためにとぶことのもっとも少なかった各甲虫個体は、海にふきとばされずに生存する機会をもっとも多くもったであろうし、また他方、もっともとびやすかったものたちは、海にふきとばされることがもっとも頻繁で、そのためほろびてしまったのだろうと思われるのである。
ダーウィン『種の起源(上)』岩波文庫(八杉龍一訳)(p. 180-181)

ここでダーウィンは、一年中強風に晒されるマデイラ島に生息する多くの甲虫の翅が退化して飛べなくなっていることに注目します。その要因として、ヘタに飛べてしまうヤツは風で飛ばされて海に落ちて死んでしまうからだろう、と考察しているにすぎません。仮説を述べているだけです。そして、未だに我々はこの仮説よりも説明力のある解釈を提案できていません。ダーウィンのこの仮説を実証したのは誰か、といえば、たとえば最近発表されたこの論文などがそれにあたるでしょう(Foster et al., 2021, Biol. Lett.)。この研究はニュージーランドのカワゲラの仲間を対象にしたものです。森林の残る地域ではもともとの翅が発達したカワゲラが生息していますが、森林伐採され地表面近くに風が強く吹く環境に変化してしまったところでは、翅があると吹き飛ばされてしまい死んでしまうーそのため、森林伐採によって環境が変化したこの数十年という短期間で翅が消失する方向に進化してしまった、という内容です。これはダーウィンの提示した仮説を実証したものだと言っていいと思います(個人的なものかもしれませんが、生物学の分野で「証明」という単語はあまり使いたくありません)。


だが、こうした発想法や戦略の類は、その成立ちの都合上、どれも効率よく発想するための方法論(HOW)に終始していた。そして巷にあふれる発想法の大半は、それを提案した人の経験則と主観的な方法論に陥った、再現性の乏しい自伝的な内容に思えた。
(中略)
私なりにたくさん探してみたものの、結局「なぜ進化と発明は似ているのか」に答える内容や、「進化に寄り添った創造の具体的な手法」は発見できなかった
(中略)
だが、変異と適応を繰り返すのは、生物学的進化も創造的思考も同じだという気づきによって、この謎は氷解する。(p. 52)

>巷にあふれる発想法の大半は、それを提案した人の経験則と主観的な方法論に陥った、再現性の乏しい自伝的な内容(p. 52)

本書に対してまったく同じ印象を受けました。その理由はここに説明した通りです。


>結局「なぜ進化と発明は似ているのか」に答える内容や、「進化に寄り添った創造の具体的な手法」は発見できなかった(p. 52)

ここに説明した通り、そもそも進化の理解が間違っているのでそれは見つからないでしょう、と思います。


>変異と適応を繰り返すのは、生物学的進化も創造的思考も同じだ(p. 52)

ここで説明してきた通り、進化は「変異と適応」の繰り返しではありません。なので、著者の言う「創造的思考」と進化はアナロジーにならないし、そのように説明してはいけないのです。


進化という語感は、前よりも良くなる進歩的現象だと誤解されている。しかし実際の進化は必ずしも進歩ではなく、ランダムな変化の連続だ。(p. 74)

でたらめばかり書いてあるのかと思いきや、突然正しいことが書かれていることもあります。ちょっとびっくりしますね。
…と思ったらその数ページ後にはこんな調子です。

この言語と遺伝子の類似性こそ、言語によって人が道具を発明し、自らを進化させられた理由だと考えると、創造と進化が類似している謎が氷解する(p. 80)

それは進化ではありません。


生態の複雑な繋がりを理解するには、個体同士に働く適応を丁寧に観察する必要がある。つまり物語の「登場人物」「必要不可欠な道具」「それらが置かれた状況」を観察すると、人間同士やモノ同士の間に適応関係が自然発生しているのがわかるのだ。(p. 318)

こうした生存競争は、適応を考える上で無視できないものだ(p. 322)

生物は「変異による挑戦」と「自然選択による適応」の繰り返しによって進化してきた。(p. 446)

ここまで説明してきた通り、「適応」という単語の使い方がバラバラです。この「適応」という単語のめんどくささについては、Williams本の訳者あとがきに師匠のグチとも思えるような筆致で追記があります。

生態学における(弟子注:「適応」という単語の)定義のぶれのもう一つが温暖化適応である。これは気候が温暖化したとき、暮らしやすくするために、あるいは生き残っていくために、われわれが意識的に生活を変えることである。これは、生物そのものの理解を目指す基礎生物学ではなく、応用科学・社会科学的な概念である。Williamsの使い方と違うのはいうまでもないだろう。本書が提案した、teleonomyという用語を適応生物学と翻訳したのには、温暖化適応という用語が広く定着している背景がある。進化生物学における適応概念が、一般用語としての適応とは違い、特殊で限定的意味をもつことに光を当てたかったからだ。とくに専門家以外と会話するときには、進化生物学者は面倒でも繰り返しこれを説明する必要がある。
Williams GC, 辻和希 訳 (2022) 適応と自然選択. 近代進化論批評. 共立出版. p. 265-266.

…というわけで不肖の弟子ですが、いちおうがんばって説明を試みています。


また、こうした魅力を巡る競争では、行き過ぎにも注意しなければならない。たとえば、ギガンテウスオオツノジカは、50キログラムにもなる重さの角を持っていたが、その角の形成にカルシウムを消費しすぎて、7700年前に絶滅したといわれている。また、ユミハシハワイミツスイという鳥は、特定の花に合わせて、とても長いくちばしを発達させたが、その花の生息地が消滅したと同時に絶滅してしまった。こうした行き過ぎた進化は、現在の進化生物学ではランナウェイ現象と呼ばれている。(p. 326)

>ギガンテウスオオツノジカは、50キログラムにもなる重さの角を持っていたが、その角の形成にカルシウムを消費しすぎて、7700年前に絶滅した(p. 326)

明確に誤りです。もし、その角が原因で絶滅するようならそのような形質はそもそも進化しないでしょう。7700年前に絶滅したのは、人類の狩猟圧で狩りつくされたからでしょう。

>こうした行き過ぎた進化は、現在の進化生物学ではランナウェイ現象と呼ばれている(p. 326)

ランナウェイ説の説明として不適切です。性選択の結果、生存に不利とも思えるような極端な形質が進化した場合をrunaway process と呼んでいるのであって、ここでオオツノジカを例として挙げられたような「それ自体が絶滅にも至るような行き過ぎた進化」はそもそも存在しませんし、ユミハシハワイミツスイの例もいわゆる普通の適応進化の一例であってrunaway processの例として挙げるべきものではありません。runaway processの一例として、たとえばアフリカに住むコクホウジャクという鳥の研究を挙げておきます。
Andersson M (1982) Female choice selects for extreme tail length in a widowbird. Nature, 299(5886), 818-820.

こうしてフィギュアやミニカーを買い漁って分類し、系統樹にする過程では、実にさまざまな気づきがあった。また興味深いことに、乗り物の系統樹を作る際、その母型となるような研究を探してみたが、適切なものを見つけることはできなかった。創造の系統樹に関する研究は思いのほか未発達のようだ。(p.278)

>乗り物の系統樹を作る際、その母型となるような研究を探してみたが、適切なものを見つけることはできなかった(p. 278)

たくさんあるでしょう。たとえば先ほど紹介したバイオリンの形態の進化の研究のように、文化進化の専門家でない僕ですらパッと思いあたる研究はあります。


そしてこの思考は、生物学において動物の適応状態を確かめるプロセスから、その本質を学ぶことができる。創造も生物と同じなのだ。状況に適応することで価値を発揮し、時代に生き残る。つまり創造にも自然界と似た生態系があり、モノにもつねに適応のため圧力が働き、自然選択されている。モノを作るには、この適応圧は無視できない。
 そして、創造のクオリティを上げるのもまた適応によるのだ。本当にその状況にふさわしいものを追い求めていくと、創造は必然に近づき、クオリティが磨かれていく。(p. 206)
本質的な自然選択を無視し、適応しようとしなければ、創造性のクオリティは必然的に下がる。つまり人工物の創造よりも自然界の進化の方がはるかに、本質的かつ強い自然選択圧に長い年月をかけて応え続けてきたのだ。この違いが、生物と人工物のあいだにあるデザインクオリティの、決定的な差を生み出している。(p. 437)

>動物の適応状態を確かめるプロセス(p. 206)
>適応のため(p. 206)
>適応しようとしなければ(p. 437)

ここでの「適応」はまさにWilliams本の冒頭で書き加えられた訳者注で指摘されている誤用そのものです。
>本書では、適応(adaptation)を自然選択を受けて発達した形質、すなわち進化の産物という意味で使っている。しかし、日本語の'’適応’'は、動詞の適応(していない状態から適応している状態へ変化すること)の意味合いが強いので、訳では適宜(的形質)を追加した。
Williams GC, 辻和希 訳 (2022) 適応と自然選択. 近代進化論批評. 共立出版. p. xxii






あと、ここからは進化に関係のないものですが、著者の勉強不足・確認不足が目立つところをリストアップしていきます。

稀代の博物学者リンネこそ、コレクションで歴史を変えたという意味で人類史上、最高峰のコレクターだった。彼の著書『自然の体系』(1735)は、美しい絵とともに彼の収集が紹介されていて、頁を開くだけでもわくわくする本だ。(p. 266)

>彼の著書『自然の体系』(1735)は、美しい絵とともに彼の収集が紹介されていて、頁を開くだけでもわくわくする本だ。(p. 266)

1735年の『自然の体系』は初版本ですね。 初版本は全30ページ程度の生物リストのようなもので全然わくわくしません(めしべのスケッチ?は1枚だけあるけど)(1735初版の復刻版)。
『自然の体系』の後期版には終わりの方に図が付きますが、学術書なのでまずはテキストが膨大な量あり、最後に図版がちょこっとあるだけです。現代の一般書のように途中に挿絵が挟まれているわけではないので、頁を開くだけではやっぱりわくわくしません(1766年版、British Heritage Library)。というか、古典籍の超希少書なので物理的に『頁を開く』にはかなりの手続きを踏まなければいけないと思います。わくわくするどころか「コレ触っていいの?」というレベルで緊張するところでしょう(『種の起源』と違って『自然の体系』は訳本も出ていない…)。

>生物は三八億年という気の遠くなるような歳月をかけ、変異と適応を繰り返して進化を実践してきた。その結果、3000万種類もの形態を創造し、多様性のある環境を構築してきたのである。(p. 43)
>生物は38億年の進化のなかで、数千万種もの多様性を生み出してきたが、 (p. 72)

3000万種、数千万種という数字はどこから来たものでしょうか。2022年現在、記載されて学名を持つ生物は約200万種、未記載種含めて地球上にどれくらいの種がいるか?という推計ではMora et al. 2011による870万種(±130万種)が今のところそれっぽい感じとされているようです。
Mora C, Tittensor DP, Adl S, Simpson AG, Worm B (2011) How many species are there on Earth and in the ocean? PLoS Biology, 9(8).

地球史に登場した1000万種類の生物のなかで、人間だけが膨大な道具を発明できたのは、人類のみが言語を発明できたからではないか。デザインと言語の類似性を研究していた私にとって、この仮説は深く腹落ちする。(p. 79)

今度は1000万種になりました。また、

>人間だけが膨大な道具を発明できた(p. 79)

というのは間違いです。道具を使う生物は人間以外にもいます。
たとえば → こんな感じ
「膨大な」という修飾がつけば人間だけと言っていいとは思いますが、たぶんそうではないでしょう。
また、

>人類のみが言語を発明できた(p. 79)

言語の定義にもよるのかもしれませんが、シジュウカラの鳴き声には文法があることが最近明らかにされていますし、その文法を異種間でも共有して理解しているようだ、という研究が日本から発表されています。
鈴木俊貴 (2020) 小鳥の鳴き声にも単語や文法がある!? シジュウカラ語・大研究 (特集 認知科学でさぐる鳥の" 心": 鳥は何を見て, 何を考えているのか). Milsil: 自然と科学の情報誌, 13(4), 12-15.

分類学は、系統全体を一つの生物の身体と考えて解剖する学問だと言い換えてもよい。(p. 267)

分類学は分類の基準を構築し整理する学問であり、系統関係を考慮しません(してもいいけどする必要もない)。


また、本書ではいろいろなところで既存の教育について強い不平不満が表明されています(たとえば p. 29や p. 35-37, p. 211-212, p. 305, p. 386-388、p. 391、p. 467-468、p. 476-479など)。創造性を養うための教育になっていないことに強い危機感を持っているということは感じられました。が、これらの教育批判はどの部分もどこかで主張されているのを見たことがあるような居酒屋談義のレベルを出ておらず、いわゆる詰込み型教育批判としてよく聞くもので特にオリジナルな部分も感じられないものでした。一応、学者・研究者の一人として本書を読み、その内容を検証してきた身からすると、本書で主張される既存の教育への不平不満および著者の目指す教育の志向は個人の経験からくるものに過ぎず、体系だった背景やデータがあるようには思えませんでした。教育分野についてあまり詳しくはありませんが、たとえばヘックマンの幼児教育に対する提案、またドウェックによるマインドセット教育の成果などは賛否あれど一応きちんとした研究プランをもとに調査・実験を行いデータをとって提案されているものです。本書のような根拠薄弱な思い込みによって教育に口を出し、ここまで解説してきた通り完全に間違った進化の理解を広められることに生物学者として強い危機感を覚えます。まずはご自身の進化生物学の誤った理解を確認し、また教育学としてもきちんとデータと理論に則った、個人の経験に頼らない教育の構築を目指すべきです。


この調子で一つ一つの事例につっこんでいくと本当にキリがないのですが、メインの問題点をまとめると
・「進化」と「進歩」の区別がついていない(ついているつもり)
・「適応」を「選択(または淘汰)」の意味で使っていることが多く、場面によって意味がバラバラ
・「進化」なのに「遺伝」のプロセスがまるまる抜け落ちている
・著者の考える「進化」に遺伝的浮動による中立進化がまるまる抜けている
というのが本書の「進化」に関する理解の主な間違っているところです。

「進化」の理解以外のところについては、生物とデザインについて無理矢理こじつけているだけという印象がぬぐえませんでした。「生物の形態に学ぶ〜」とか言っておけばいいのにそこに「進化」を持ち出してこなくてもいいでしょうという感想を持ちました。発想法の自己啓発本としても、たとえば古典ですが梅棹の『知的生産の技術』の方がコンパクトにまとめられているし、
知的生産の技術 (岩波新書) - 梅棹 忠夫
知的生産の技術 (岩波新書) - 梅棹 忠夫
発想法の技術についても読書猿著『アイデア大全』でほとんど網羅されています。
アイデア大全 - 読書猿
アイデア大全 - 読書猿
発想法を生物進化にこじつけたところに新規性を主張しているのだと思いますが、内容自体に特に目新しさはなく、ここに解説した通りその生物進化の理解が完全に間違っているので発想法の自己啓発本としても生物進化の本としても見るところのない一冊になっています。



このように本書の進化理解について完全に間違っているところを指摘してきましたが、最後にいいことを言ってるところがないわけでもないので、その部分を紹介します。

私たちはだれしもさまざまな経験を積み重ねるなかで、徐々に固定観念を積み重ねていく。カサエルの言う通り、人は自分の物差しでしか物事を測ろうとしない。そうすると、そのモノが何で構成されているのかに無自覚になったり、周囲の繋がりに気がつかなくなったり、過去からの恩恵に目が向かなくなったりする。思い込みの発生だ。思い込んでしまうと、わかったつもりになって、実はわかっていない自分に気づかなくなる。だから自分とは違うモノの見方をする人を見ると、相手が間違っていると考えてしまう。ネット上での匿名の批判は、たいていこの類いだ。知っている範囲で批判をしながら、実際には、単に自分がそれ以外について無知なだけかもしれない。
もちろん、目の前にあるモノすら理解していなければ、新しいモノを創造するなど無理な話だ。創造的であるには、世の中に張り巡らされている見えない本質を観察して、自分だけの思い込みを外す方法を培う必要がある。(p.207)

ここに書かれたように、ご自身が積み重ねてきた進化に関する固定観念を見直し、「自分だけの思い込みを外す」ために進化生物学をきちんと学びなおしてほしいと切に願います。学生時代を終えてしまい、なんだかんだと忙しい立場の学び直しには、本文中でも挙げた放送大学の選科履修生としての「生物の進化と多様化の科学」の受講をお勧めします。普通の大学の講義であれば1コマ90分ですが、放送大学ではなんと1コマ45分という半分の時間にミッチミチに練られた講義が用意されています。動画での受講なので1.5倍速再生でもストレスなく聞くことができます。短時間で学び直しを目指すには最高の教材であると自信をもっておすすめします。

最後に、本記事を準備するにあたって参照した本を紹介します。

種の起原 上 (岩波文庫) - チャールズ ダーウィン, 八杉龍一
種の起原 上 (岩波文庫) - チャールズ ダーウィン, 八杉龍一
種の起原 下 (岩波文庫) - チャールズ ダーウィン, 八杉龍一
種の起原 下 (岩波文庫) - チャールズ ダーウィン, 八杉龍一
適応と自然選択: 近代進化論批評 - George Christopher Williams, 辻 和希
適応と自然選択: 近代進化論批評 - George Christopher Williams, 辻 和希
生物の進化と多様化の科学 (放送大学教材) - 二河成男
生物の進化と多様化の科学 (放送大学教材) - 二河成男
生き物の進化ゲーム ―進化生態学最前線:生物の不思議を解く― 大改訂版 - 酒井聡樹, 高田壮則, 東樹宏和
生き物の進化ゲーム ―進化生態学最前線:生物の不思議を解く― 大改訂版 - 酒井聡樹, 高田壮則, 東樹宏和
生き物をめぐる4つの「なぜ」 (集英社新書) - 長谷川眞理子
生き物をめぐる4つの「なぜ」 (集英社新書) - 長谷川眞理子
NHK「100分de名著」ブックス ダーウィン 種の起源 未来へつづく進化論 - 長谷川眞理子
NHK「100分de名著」ブックス ダーウィン 種の起源 未来へつづく進化論 - 長谷川眞理子

興味があれば以前まとめた「ちゃんとした進化生物学ブックガイド」もご参照ください。
http://kamefuji-lab.seesaa.net/article/485759071.html
posted by かめふじ at 20:41| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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