2020年05月26日

『積読こそが完全な読書術である』を読んで積読論文ビオトープ環境の構築に思いをはせる

本書はTLに流れてきた情報からその存在を知り、その鮮烈なタイトルに惹かれ、勤務時間後すぐに近所のツタヤに走り入手した。あっという間に読み終わってしまった『積読こそが完全な読書術である』を紹介したい。

積読こそが完全な読書術である - 永田 希
積読こそが完全な読書術である - 永田 希

いつ絶版になるとも知れぬさまざまな書籍・メディアが次々と作り出される現代において、興味のある本を手元に積み、個人のビオトープ的積読環境を構築することで情報の濁流に飲みこまれないようにしようという主張。本書の影響でさらに積読が捗りそうだ。

『研究者とは、プロの読書家であると同時にプロの積読者でもあります。研究者の蔵書はプロが構築した理想的な積読環境であり、研究者の蔵書がしばしば「森」にたとえられるのは、それがビオトープ的な生態系的側面を持っているからにほかなりません。』

という指摘には心が救われる。

かめふじ亭の積読ビオトープ環境にもやはり積極的に読んでこなかったものは多数含まれており、それらがわりと厚い地層を形成しているのだが、非常勤講師で講義資料を作る際にはヒョイと手にとって参照されてたりしていて、やはり積読ビオトープ環境というのはいいものだな、と実感しているところだ。先日も通しで読んだことがあるわけでもないけど何故か昔から本棚に置いてある『古事記』が非常勤の講義資料作成に役立った。たぶんこれは20年くらい前の学部生のとき、琉大最寄りの大型書店である330号沿いの田園書房で購入したものだ。以前発表したフジツボ本草学論文執筆の際にも参照し、実際に古事記の記述が論文の頭でエピグラフとして引用されていたりするのだけど (Hayashi, 2014)、これも自身が維持管理してきた積読ビオトープ環境があったからこそのものなのだ、と実感する。

積読ビオトープ環境の構築、と本書では特に書籍の扱いについて述べられているのだけど、そういえば論文も「お、これ面白そうじゃん」と印刷して読まないまま放置しているそっ綴じ論文ファイルが蓄積している。
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いつか斜論で紹介しようと思って印刷するのだけど、9割以上はその機会がないままか、ツイッターで軽く一言コメントで紹介して終わってしまう。この趣味論文ファイルたちが醸し出す『早く読め』プレッシャーは日に日に大きくなり、もはや手をつけようもないレベルに達している。しかし、これも日々公開される学術論文の濁流の中から興味を持ったものをピックアップして拾い出し、自身の論文積読ビオトープ環境を構築しているのだ と解釈すれば、これらのファイルが『罪の象徴』ではなく『知的生産の泉』と感じられるようになるような気さえしてくる。本書のおかげで自己肯定感が高まったと言える。

以前、長崎の水産研究所で3年ほど過ごした際には、最後の任期切れタイミングで次の職を見つけることができず、とりあえずポジションだけ用意してもらった無給のポスドクとして実家の東京に出戻ることになった。その際に引っ越しの金すらなく、PDFで入手可能なものは処分しようとそれまで溜めていた積読論文ファイルたちを捨ててしまったのだが、「暴虐の限りを尽くすキリスト教徒どもにアレキサンドリア図書館が蹂躙される様子を見るヒュパティアの気持ちとはこんなものだったのだろうか」ととても悲しい気持ちになったことをよく覚えている。

これは自身が数年間かけて維持・管理・構築してきた論文積読ビオトープ環境を自ら破壊する行為であったからなのだなぁ、と本書を読むことで総括できたような気がする。

本や論文を積むことは罪ではない。積みの罪に怯える者には是非一読を薦めたい一冊だ。
posted by かめふじ at 18:39| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月03日

『新 企業の研究者をめざす皆さんへ』によるアカデミック戦士への励まし

正月にヒマすぎて本屋をブラブラしていた際に見つけた一冊。

新 企業の研究者をめざす皆さんへ
新 企業の研究者をめざす皆さんへ

別にめざしてこうなってしまったわけでもないのだけど、実際に企業の研究者になってしまったのと、「契約してねえから論文読めねえ」という点さえ除けば現状それほど不幸に感じているわけでもないので(それについては放送大学という手段で最低限をクリアした)、正しい企業の研究者とはどのようなものだろうかと気になって手に取った一冊。思っていたよりも学位持ちに好意的な内容だった。手に取ったときは「サラリーマン研究者とはもっとこうあるべきなんだ」というお説教のような指針を示されるのかと思ったのだが、そういうわけでもない。アカデミック研究者にも通じるというか、アカデミック研究者にも理解のある内容だったと思う。特に「マジ?」と思った一節を引用する。
4.4.1 博士課程に進学すべきか

 企業の研究者をめざす学生と話していてよく聞かれるのが、「博士課程に進学すべきか」という質問である。原則的に私は「イエス」と答えることにしている。2章で述べたように、博士号を持つ者には、研究を提案する力、研究を実施する力、研究をまとめる力、という「研究力」が備わっている。少なくともそのはずである。だから、研究者としての人生を踏み出す上で、まず博士号を取得しておくのは正しい戦略であるといってよい。

なんと、IBM、キヤノン、PFNという異なる3つの民間企業を経験した人が『企業の研究者をめざす皆さん』に対して博士課程の進学を奨励しているのである。まったくもって驚いたというのが正直な感想だ。もちろん、これは実学実装に近い工学分野の会社の話だから、我々のような分類学・生態学・進化学といった基礎の基礎研究に突っ込んでしまった人間への言葉ではないのかもしれない。しかし、ここまで企業出身の方がストレートに博士課程進学を奨励するとは思っていなかった。ちなみに上記の引用部にある「2章で述べたように」の内容は以下のとおりである。

2.4.3 「研究をまとめる」こと

 IBM、キヤノン、PFN、と組織風土が異なる3つの研究組織を経験して私が感じることは、企業の研究者に「自分の研究をまとめる」という習慣があまりないことだ。(中略)必ずしも論文を書くことにこだわらないが、論文というのは、形式上このような項目を含んでいて、しかも読み手にわかりやすいように客観的に書かなければならないから、論文を書くことによって自然と、このような「まとめる力」がついてくるはずだ。(中略)私が博士号の取得を奨励しているのも、まさにこの「まとめる力」が理由である。博士論文を書くには個々の研究プロジェクトだけではなく、ある程度継続した数年間の研究を大きなパースペクティブでまとめることが求められる。だから、博士号を持っている人にはこの「まとめる力」があるのだと思う。研究は、コストと時間をかけて行うものである。「やりっぱなし」にならないよう、気をつけたいものだ。

どうだろう、論文を書く力をここまでストレートに評価してくれている。個人的なハナシになるけれども、こんな能力はポスドク戦線では当たり前の標準装備であって今更ありがたがられるほどのものでもないだろうと思っていた。アカデミアの外に出てみると我々の能力にはこれくらいの畏敬の念が払われているという事実を、本書を読むまで全く認識していなかった。今、実際に民間企業の研究者としてとりあえず仮の宿を与えられているから贔屓目に読んでしまっただけで、数年前の無給の腐れポスドク時に読んでも同じように励まされたかどうかわからない。「ケッ都合のいいことばかり言いやがって」とふてくされただけかもしれない。が、学位取得者の持つ能力に対して、民間企業でもこのように評価してくれるのだという事実はアカデミア公募戦線で戦っている諸氏にも励ましになり、また別の角度で研究を続ける選択肢の一つとなるのではないだろうか。どちらかといえばいつも会社で怒られている内容をよりストレートに表現してくれているのだろう、と教科書を購入するようなつもりで手にしたのだが、むしろ励まされてしまったという感が強い。


先日、『種を記載する:生物学者のための実際的な分類手順』のすばらしさを説いた際にひさびさに自分のボロボロに使い倒した本を見直した。本を買うという行為はこのようにボロボロに使い倒す権利を購入するということなんだなあと思い、本書からひさしぶりに3色ボールペン読書を再開した。ここには紹介しきれないが、終わってみるとメチャクチャ緑線が引かれていた。本書はタイトルの通り企業の研究者を目指す若者へのメッセージであるが、同時に学位持ちへの励ましの書でもある。出版は2019年12月31日、まさに今出版されたばかりの本であり、今現在アカデミアの外で我々の能力はこのように評価されてもいるのだという外からの視点を知ることができる貴重な一冊。公募戦線で疲れ果てているアカデミック戦士のみなさんにも強くおすすめしたい。というようなことを戦場の外から賢しげに語る自分にムカつきもしているが、そこはまだ正社員でなく、いつ戦場に戻るかわからない流浪の民の戯言とご容赦いただきたい。
posted by かめふじ at 20:28| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月01日

『種を記載する:生物学者のための実際的な分類手順』は何故絶版になってはならないのかを力説する

TLでこんなツイを見かけた。

そんな流れの中、動物分類学の本っつったらもう名著があるじゃない、とこんなエアリプを放ったところ、予期せぬプチバズツイとなってしまった。


原著のPDFは今も公開されているのだが(PDF直リンク)、訳書に関しては絶版となっており現状入手不可能のようだ(出版社のHPでは「第1章はじめに」のみ公開されている)。アマゾンでは古本が1冊のみ出ており(2020/1/1現在)、なんと50000円の値段がつけられている。ちなみに僕が今所持しているものは上のツイにあるとおり、書き込みから何から使い倒しているので古本屋に流せる状態のものではないことをお断りしておく。

さて、本題の本書が何故絶版となるべきでないかの説明に移る。
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↑ここにあるのはかめふじ文庫の動物分類学に関する書籍の一部である(他にもあるかもしれないけど散らかってて全部回収しきれなかった)。これらの本の中でも、本書には他の本にはない特徴がある。本書の特徴は徹頭徹尾 How to write a taxonomic paper を追求した「実用書」であり、「動物分類学とは何か」を解説した教科書ではないという点である。この分類学における How to は馬渡峻輔著『動物分類学30講』にも一部触れられているが、一冊まるまるそれに特化した本というのは他に例がない。平嶋義宏著『学名論ー学名の研究とその作り方』もHow to 本ではあるのだが、「命名」という分類学におけるごく一部に特化した内容であり、記載全般について触れているものではない。左の方に並んでいるのはいずれも「系統学」に関するもので、「分類学」の専門書ではない。

佐々治寛之著『動物分類学入門』は1989年の出版で古い本ではあるのだが(これは10年以上前、博士課程在籍時に神保町の古本屋で900円で入手した)、内容はそれほど古臭くなく、動物分類学の入門書としてまさにふさわしい内容である(というか、分類学という分野自体が10年20年程度で内容が古くなるようなものでもない)。ただ、本書は分類学の考え方を整理して解説した本であり、分類学の根幹である「記載論文」に何が書かれているのかについては一切触れられていない。これは後に出版された馬渡峻輔著『動物分類学の論理:多様性を認識する方法』(1994)、松浦啓一著『動物分類学』(2009)においても同様である。いずれも「分類学とは何か?」を知るためには良書であるが、記載論文には何がどのように書かれているか?に関する説明がスッポリ抜け落ちている。分類学の実践である「記載論文をどのように書くか」については一切触れられていないのだ。

自分が初めて記載論文というものに直面したのは卒論が始まった学部4年生のときに渡された以下の論文である。
Monroe R, Limpus CJ (1979) Barnacles on turtles in Queensland waters with descriptions of three new species. Memoirs of the Queensland Museum, 19, 197–223. (今はBritish Heritage Libraryに公開されている!院生のときは数千円かけて図書館経由でコピーをとりよせていたのに!)
たとえば199ページから始まる Tubicinella cheloniaeという欄を見てほしい。何が書いてあるかわかるだろうか。たぶん多くの方はわからないのではないだろうか。これは英語を読める読めないという問題ではなく、記載論文のフォーマットに従って書かれているだけで実際にはそれほど難しいことは書いていないのだが、この論文を渡された4年生のときにはfig. 6の波線がいったい何を示しているのかすら全く理解できず、本当に何もわからなかった(卒論は分類学ではなかったのでまぁそれほど影響はなかったのだが)。これを本当に読めるようになったのはD1のとき(2005)、Scripps海洋研究所でフジツボ神 William A Newman 先生に出会って直接ああだこうだと教わってからのことだった。その後、なんとか見様見真似でフジツボの解剖を続けながら論文を読み続け、記載論文のフォーマットをようやく体で覚え始めた2008年に本書『種を記載する:生物学者のための実際的な分類手順』が出版されたのであった。

そこには記載論文というものはどういうものか、どこに何がどのように書かれているのか、それまでに知りたかった全てが完璧に書かれていた。これは記載論文を書くために必要な本なのだが、それ以上に重要なのは「記載論文に何がどのように書かれているか」を日本語で説明している唯一の本であることだ。論文を書くためにはまず論文を読めるようにならなければならない。この本があるかないかで記載論文を読めるようになるスピード、必要な時間が圧倒的に違う。自分の場合は博士課程における直接の指導教員から一切の指導がなかったため、実質的に本書が指導教員であると断言できる。D3でこの本に出会ってからD論の執筆が開始したと言っても過言ではない。というわけで直接のやりとりはなかったのだが、学位取得後に本書を訳してくれた柁原先生に学会でお会いした際に「自分は北大分類学の系譜を直接継ぐ者ではないが、本書があったおかげで記載論文を自分で書けるようになり学位を取得することができたので、柁原門下の一員のつもりである」という趣旨の礼を熱く述べたところ、たいへん喜んでいただいた。残念ながら絶版となっている現状を見るに、本書は学術書としてあまり高評価を受けていないようだ。しかし、本書のような超絶良書が絶版になっていることは断じて許されることではない。

先日、たまたま大学のシラバスなどを調べる機会があり、そういえば自分が受けた講義は今誰が担当しているのかな、などと母校のシラバスをチラ見したことがあった。現役のときに農学部で受講した「昆虫分類学」という講義は消滅していた。理学部の「動物分類学」も、分類学における最も重要な「記載」については1回触れるだけで後半は系統学の話のようだ。もう20年近く前の講義で記憶もあいまいではあるが、受講した際に記載論文のどこに何がどのように書かれているかについて解説された記憶もない。生物学の基本である分類学の衰退が嘆かれる中で、大学の講義でもその重要な部分に関する解説・説明は絶滅の危機に瀕している。

馬渡峻輔著『動物分類学30講』より引用、
分類学はタクソンを非科学世界から科学世界へと運ぶ。これは国家が未開の地へと侵略して必要なものを略奪してくるようなもので、これを侵略戦争と位置づければ分類学者はその前線に立って素手で奮闘している兵士である。このアナロジーで唯一分類学者が兵士と異なる点は、国家の擁する兵士は国家構造体の中心に位置する大本営からの情報と指令で動くのに対して、分類学者は未開の前線を目の当たりにして誰からの指令も受けず、自ら情報を収集して作戦を立てて戦うことである。分類学の仕事が基本的なのは、きわめて限られた情報の元、あるいはほとんど情報ゼロから開始しなければならないことからも明らかであり、その困難さは派生研究者、つまり未開に面した前線に立ったことがないエスタブリッシュメントには想像しがたいだろう。分類学者には、フロンティアスピリットに加えて、後ろ盾を欲しない孤立無援性が資質として要求される。このことは翻って分類学者どうしの統合を困難にする。

本書は統合困難な分類学者たちが孤立無援の未開の最前線で生き抜くためのサバイバルスキルを教示するものだ。分類学の「実践」についてのこれ以上ない最高の解説書である本書は、今すぐに復刊されるべきものであることを強く強く主張するものである。

-----------------------------追記-----------------------------

友人が復刊リクエストページを作ってくれたので僕も投票しました。



復刊ドットコム 種を記載する:生物学者のための実際的な分類手順
https://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=69155
分類学に興味のある方は是非投票をお願いいたします。
posted by かめふじ at 22:03| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月18日

『クモの奇妙な世界 その姿・行動・能力のすべて』の圧を語る

ハエトリグモハンドブック購入以来高まるクモ熱をさらに煽る一冊が登場。

クモの奇妙な世界 その姿・行動・能力のすべて
 馬場友希著『クモの奇妙な世界 その姿・行動・能力のすべて』

本書では著者の研究成果はそれほど強調されず、サブタイトルに『その姿・行動・能力のすべて』とある通り、これまでクモを対象にどのような研究がされてきたかを網羅的に、それはもう網羅的に幅広く、さまざまなトピックを扱っている。ダメなオタクは自分の専門分野になると相手構わずハイスピードでしゃべり倒して迷惑がられるものだが、本書にそのような押し付けがましさはなく、淡々とクモについて語られてゆく。テキストの太字強調部分にやや強めの圧を感じるものの、ストレスに感じることはない。

個人的に最も衝撃を受けたのはコチラの章、『クモの社会』の一節である。近年高まるクモ熱を背景に昼休みの自由研究のメニューにクモも加えようと観察を続けつつ面白そうなクモ論文をいくつかピックアップして読む中で、以下の論文を見つけてカニグモアチイイィィィィ!!!と盛り上がったことがあった。

Dumke M, Herberstein ME, Schneider JM (2018) Advantages of social foraging in crab spiders: Groups capture more and larger prey despite the absence of a web. Ethology, 124(10), 695-705. 【リンク
『カニグモの協力採餌行動』

マジかよ アリでもないのに協力してエサとることなんてあるのかよ、しかもこの前 物置棟の裏でカニグモ見たぞ、めちゃくちゃ面白いじゃねえか。
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というわけでカニグモを見つけては周囲に他の群れがいないか探すものの、ときどき単体で見かけるばかりで、まったく集団では見つからない。キミの仲間はどこにいるのだ。弊社構内規模では見つからないのか、隣の公園にも探しに行く必要があるのか…などと考えていたところにコレである。
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>「これは一般的に社会性クモと呼ばれており、(中略)極めて種数は少なく、日本では見られません。」

弊社構内とかそういう規模のハナシではなかった。


それはともかく、本書はクモ道入門のハードルを著しく下げている。本書の価値はクモ界の巨人の肩の上に立ち、2019年現在のクモ界を俯瞰することが可能になっていることにある。著者本人が大学院の指導教官である宮下直編著『クモの生物学』を読み、クモの行動生態学を志し研究活動に突入したというように、本書をきっかけにクモ道を志す若者も多く出てくることだろう。ハエトリグモハンドブックをはじめ、さらに本書が公開されたことでクモ界の一般向け書籍の充実度は他の分類群と比較にならないくらい圧倒的な密度と広大さをカバーすることとなった。クモ界の未来は明るい。他の分類群、たとえば僕が専門とするフジツボ界でもこのような環境を整えていかなければならない、と身が引き締まる思いである(が、そのハードルは果てしなく高い)。

また、本書の価値は、どんな研究がされているかをその内容だけでなく、しっかりと文献情報とともに網羅的に紹介されていることである。今のところそのような予定は特にないのだが、仮に動物生態学もしくはそれに準ずるラボを主宰することになり、毎年やってくる卒論生の相手をするような事態に陥った場合には、本書を置いて「興味あるトピックあったらその論文を探してきてまとめてみてね」と論文紹介の訓練に使用することができる。別に材料にクモを選ぶ必要はなくとも、その学生が生物学のどのような現象に興味を持っているのかを把握する上で本書は絶好のガイドとなるだろう。クモを対象に分類学、行動学、生態学、とこんなにもいろいろな研究がされている、では違う生物ではどうだろう、とクモ界を俯瞰するこのガイドを頼りに、より具体的に自分の興味ある現象のスケールを絞ることができるようになるだろう。


本書の唯一の欠点は、せっかくの充実した参考文献リストがスーパー見づらいことである。
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フォントサイズを大きくして、文献ごとに改行してくれ。頼む。あとできれば文献番号でなくアルファベットの著者順で並べてほしい。頼む。ページ下段の脚注コメント欄に文献情報を入れてくれるのでもいい。頼む。

あと1点、p83にウソが書かれていますね。
>「クモ屋として新参者である私にとっても…」
小学校の卒論を見つけているぞ。
『イソハエトリの研究』 https://www.shizecon.net/interview/szcn_senpai_01_baba_32th.pdf

あと、これは高望みしすぎかもしれないが、写真や図がほぼないことも残念な点ではある。本書の横に新海栄一著『日本のクモ』を置き、クモが出てくるたびにその生態写真を確認しながら読み進めることで、クモの生活史をよりリアルに理解することができるだろう。
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ちなみに、誤カウントもあるかもしれないが、写真をチェックしながら読み進めたところ、本書に登場するクモのうち126種は『日本のクモ』に生態写真が掲載されていた。本書では1種と思われていたものが地域ごとに複数種いることが(たぶん)「日本のクモ」出版以後に明らかにされた事例や、海外のクモの研究成果も取り上げているため、すべてのクモの姿を「日本のクモ」で確認することはできないが、それでもこの2冊があればクモ界を俯瞰することができるだろう。
posted by かめふじ at 20:07| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月03日

【論文】学名にハイフン?

先日、大阪市立自然史博物館に本草学資料の調査に行く機会がありました。
お世話になった学芸員さんに「ちょうど出たばかりなんですよ」と博物館紀要(物理)をいただき、そういえば博物館の紀要ってどんなん出てるんだろ、とパラパラ眺めていたのですが、その中にちょっと気になるところが。

中M直之, 瀬口翔太, 藤本将徳, 有本久之, 伊藤建夫, 藤江隼平, 高柳 敦 (2019) 京都大学芦生研究林で2008年から2016年まで採集された甲虫類. 大阪市立自然史博物館研究報告, 73, 91-105. 【リンク
nakahama.jpg
↑???  マルヒラタケシキスイという甲虫の学名が Parametopia x-rubrum となっていて、学名にハイフンが入っている。これって適格なんだっけ?

…というわけで国際動物命名規約第4版(物理)を確認してみたのですが、ありました。

条32の「32.5. 訂正されなければならない綴り(不正な原綴り)」のところですね。
kiyaku2.jpg
32.5.2.4.3. 先頭要素がそのタクソンの形質を説明的に示すために使用されるラテン文字1文である場合,それを維持し,ハイフンを介してその小名の残りの部分をつなげなければならない.
例:Polygonia c-album(シータテハ)中の c-album.このチョウの翅の白い斑紋が文字cに似ていることが名付けられた.


マルヒラタケシキスイを画像検索してみると… 【検索結果】

翅に赤く小文字のxのような模様が確かにあります。xがこの「翅の形質」を説明的に示しているので、ここではハイフンを維持して種小名を繋がなければならないというわけですね。平嶋 (2012)によれば他にも後翅にc模様を持つキタテハ Polygonia c-aureum も「金のc」、エスハマダラミバエ Shiracidia s-nigrum も「黒いs」という意味で、同様にハイフン付きの学名が適格とされています。

フジツボでは見かけない学名の付け方で見つけたときは驚いてしまったのですが、規約上は有効な学名として現在も維持されているようですね。

【参考文献】
動物命名法国際審議会 (2000) 国際動物命名規約第4版 日本語版. 日本動物分類学関連学会連合.
平嶋義宏 (2012) 学名論ー学名の研究とその作り方. 東海大学出版会.
posted by かめふじ at 21:59| Comment(0) | 論文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする